母の膀胱がん診断と、抗がん剤を受けないという選択
酵素風呂との出会いは、母の膀胱がんがきっかけでした。
ある朝、母に血尿が出ました。
すぐに近所の泌尿器科を受診し、そのまま市立病院を紹介されました。
検査の結果は、ステージ2の膀胱がん。
まずは尿道からの内視鏡手術を行うことになりましたが、手術と病理検査の結果、がんは筋層を越えて周囲脂肪組織まで浸潤していた事が分かり、診断はステージ3へと変わりました。
術後、医師からは 「3か月間の抗がん剤治療と、再手術が必要です」 と告げられました。
しかし、内視鏡手術の際の麻酔で強い吐き気に襲われた母は、術後数時間にわたり嘔吐を繰り返しました。その経験から、抗がん剤も再手術もどうしても受けたくないと言い始めたのです。
酵素風呂との出会い、そして改善
そこで父と一緒に、がんについて、そして体について、必死に調べました。
行き着いたのは「体を温めることは、免疫力を高める」という考えでした。
そして私たちは、静岡県藤枝市にある酵素風呂に通うことを決めました。
主治医と相談しながら、3カ月だけ抗がん剤治療は待ってもらうことにしました。
その3か月間、母は週3回ほど酵素風呂へ通い、食事も見直しました。
そして迎えた再検査の日。
結果は――改善。
「もう抗がん剤治療も、手術も必要ありません」
その言葉を聞いたときの安堵と喜びは、今でも忘れられません。
普段は元気でポジティブモンスターであまり涙や弱っているところを見せない母ですがあの時ばかりは泣いておりました。
母への想いと、その後の変化
親孝行の娘なんて全然言えない。勉強はできないし、先生には嫌われるタイプで迷惑かけてきたし、勝手に上京するし、帰ってきたと思ったら勝手に海外へ行っちゃうし、そんな自由奔放な娘を否定せず全部肯定してくれたのが母でした。
とりあえずもう少し生きていてくれるなら少しは親孝行しなくちゃなぁと思いました。
膀胱がんは再発のリスクがとても高く、5年以内再発率は50%から70%と言われている事から、その後も母は週1回酵素風呂に通い続けました。
酵素風呂のお陰かわかりませんが再発はなく、体調は以前よりも良くなり、ついには週4回もインディアカというスポーツに励むほど元気に過ごすようになりました。
酵素風呂を引き継ぐ決意
それから2年ほど経った頃のことです。
通っていた酵素風呂のオーナーさんが、ご両親の介護のために閉店する、という話を聞きました。
自宅から30分以内で通える酵素風呂は他になく、その知らせを聞いた母は、ひどく落ち込んでしまいました。
その姿を見たとき、なぜかふと、 「私がやってみようかな」 そんな思いが湧いてきたのです。
私は勉強が得意なわけでもなく、英語も話せず、特別な資格や取り柄もありません。
それでもなぜか、「海外で仕事をしてみたい」という漠然とした願望だけは、ずっと心のどこかにありました。
酵素風呂の閉店を知ったとき、
「酵素風呂は日本の伝統文化だ」
「これは世界に持っていける」
「母のためにもなるし、親孝行にもなる」
そう強く思いました。
そして私は、その酵素風呂の事業を引き継ぐ決意をしたのです。
温度が上がらない日々と、試練
客商売の経験もなく、店舗経営も初めて。
ましてや酵素風呂の事業など、何もわからない状態からのスタートでした。
すべてが手探りでした。
思考錯誤をしていたそんな日々の中、ある時期なぜか、理由が分からないまま、どうしても温度が上がらない日々が続きました。
酵素風呂は、とても繊細なものです。
考えられることは、本当にすべて試しました。
それでも、どうしても温度は上がりませんでした。
お客様をお呼びすることもできず、営業は止まったまま。
それでも家賃や光熱費は毎月かかり、少ない資金はみるみるうちに減っていきました。
「本当に大丈夫なのだろうか」
不安と焦りで、心が押し潰されそうな日々でした。
父がくれた希望、そして原点
それでも何とか試行錯誤を繰り返す毎日。
そんなとき、奇跡のような出来事が起こります。
長年自然栽培の農業を趣味でやっている父が何十年も前の雑誌を引っ張り出してきて、
「ここに、酵素風呂の種菌が載っている!」
と言い出したのです。
父のお陰で、ヒントを得て何とか立て直す事が出来て温度が上がったあの日の安堵感と嬉しさは今でも忘れません。
今でも何か困ると、私はすぐ父に相談しています。
酵素風呂の技術も、考え方も、諦めない姿勢も。
私の基盤を作ってくれたのは、間違いなく父でした。
この経験すべてが、今の私の原点です。
-e1762221566732-90x52.png)